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Redewendungen der Woche KW34/2021

Autorenbild: Mikako Hayashi-HuselMikako Hayashi-Husel

先週(2021年第34週)にFBのページTwitterまたはNoteでご紹介した「Redewendung des Tages 今日のドイツ語慣用句」をまとめてご紹介します。


1. jemanden/etwas nicht ausstehen können


意味: ~に耐えられない、~には我慢できない。


例文: Ach, diese ewige Diskussion kann ich nicht ausstehen!(訳例:ああもう、この長ったらしい議論、我慢できないわ!)


Dieser Politiker ist dermaßen heuchlerisch, den kann ich nicht ausstehen!(訳例:この政治家はあまりも腹黒くて許せん!)


解説: ausstehen というのは本来は「最後まで立っている」ことを表します。立つという行為は横になっていたり座っていたりするよりも負担が大きいので、通常は短時間しか耐えられません。 それが比喩的に用いられるようになったのは、長いミサ・礼拝についてだったそうで、宗教改革家のルターの時代あたりからその比喩的用法が見られるようになります。信徒が立って待っていなきゃいけないような儀式があるのか、参加人数の多さから祝福を受ける順番待ちが長かったのか分かりませんが、「長く立たされるのは耐えられない」という気持ちがこの「nicht ausstehen können」に込められていたのでしょうね。

昔、学校で「廊下に立たされる」という罰がありましたが、今でもあるのでしょうか。分かりませんけれども、「長時間立たされるのはごめんだ」という気持ちと「nicht ausstehen können」を結び付ければ覚えやすいのではないでしょうか。

しかし、たいていのドイツ語ネイティブはもうこの慣用句と「stehen(立つ)」を結び付けて考えるようなことはありません。nicht ausstehen können = nicht leiden können という等式の方を真っ先に思い浮かべます。



2. wie ausgewechselt sein (scheinen/erscheinen/wirken)


意味: 人が変わったかのようである。



例文: Nachdem er mit ihr noch einmal gesprochen hatte, war er wie ausgewechselt.(訳例:彼女ともう一度話した後、彼は人が変わったかのようだった。)


Auch in der Fraktion wirkte er gestern wie ausgewechselt.(訳例:会派の中でも彼は昨日人が変わったかのように見えた。)


解説: 「wie ausgewechselt」が核となる比喩表現で、sein /scheinen/erscheinen/wirken などのいわゆる連結動詞(主語イコール述語のように主語と述語を同格で結びつける動詞)とともに使われます。 auswechseln という動詞は本来は「入れ替える・交換する」を意味します。「wie ausgewechselt」とはつまり、「中身が別物と入れ替わったかのような」印象です。

この慣用句に「Wechselbalg チェンジリング・取り替え子」の迷信が影響しているのかどうかは不明です。Wechselbalg は古くは小人やエルフなどがいたずらでするものと考えられていましたが、キリスト教的発想ではそれは悪魔の仕業であり、特に障害のある子どもや奇形児が Wechselbalg とみなされて迫害・殺害された歴史があります。 しかし、「wie ausgewechselt」は「泣いたカラスがもう笑う」的な突然の気分や態度の変化を指すので、単に「心が入れ替わった」という迷信とは無関係の発想である可能性もあります。



3. jemandem eins auswischen


意味: ~に仕返しをする、(仕返しとして)~に一発くらわす、~を痛めつける。 字義通りには「~に1つぬぐい取る」



例文: Nach alldem, was er mir angetan hat, würde ich ihm nur allzu gern eins auswischen.(訳例:彼が私にした諸々のことを鑑みれば、彼に仕返ししたいのは山々だが。)


Und so stellt sich die Frage, wer am Ende wem eins auswischen wird.(訳例:それで生じる疑問は、最終的に誰が誰に仕返しをすることになるのかということだ。)


解説: 口語ではよく「eins / eine / einen」が代名詞的に使われ、具体的にそれが何を指しているのか分からないことがあります。 日本語の「ひとつよろしくお願いします」などの「ひとつ」が何なのか分からないのに通じるものがありますね。 また「auswischen ぬぐい取る」がどうして仕返しまたは意趣返しの意味になるのかも不明ですよね? この慣用句ではいろんなことが省略されているのです。 本来は学生言葉で「サーベルのさっとなでるような動きで相手に打撃を与える」ことを指していたそうです。サーベルの動きを埃をぬぐい取る動きに譬えたものだったわけですね。 日本語でも「なでる」は特定の文脈で「殴る・痛めつける」の意味で使われますが、ドイツ語ではそれがさらに一般化して暴力以外での仕返し・意趣返しにも使われるようになっています。

4. die Axt an etwas [die Wurzel] legen


意味: (悪いことを)取り除くための措置を講じる、~を根絶しようとする。 字義通りには「斧を [根] に置く」




例文: Die zuständigen Behörden versprachen, die Axt an diese Missstände zu legen.(訳例:管轄当局は状況改善のための措置を講じることを約束した。)


Man muss die Axt an die Wurzel der Drogenkriminalität legen.(訳例:薬物犯罪の根絶を目指さなくてはならない。)


Wer die Pressefreiheit einschränkt, legt die Axt an die Wurzel der Demokratie.(訳例:報道の自由を制限する者は、民主主義を根絶やしにする(民主主義の土台を破壊する)。)


解説: この慣用句は斧を使った比喩で、何か悪いものを取り除くための措置を取ることを指す一方で、3番目の例文のように何か守るべきものの基礎(die Wurzel 根)を破壊してしまうことも指します。 林業者の言葉から来ているわけではなく、引用元は新約聖書のマタイによる福音書にあります。 "Es ist schon die Axt den Bäumen an die Wurzel gelegt. Darum, welcher Baum nicht gute Frucht bringt, wird abgehauen und ins Feuer geworfen." -- Matth. 3, 10(斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、よい実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。--マタイによる福音書第3章10)

木の幹ではなく根に斧を振り下ろすと、木そのものをダメにしてしまうという自然の摂理から来る表現なので、日本語の「根絶する」「根絶やしにする」と共通しています。ただし、犯罪などはともかく「Missstände 苦境・不都合な状況」を「根絶する」とは日本語では言いませんけど。



5. sich benehmen wie die/eine Axt im Walde


意味: 粗野・粗暴なふるまいをする。 字義通りには「森の中の斧のようにふるまう」



例文: Er hat ein Benehmen wie die Axt im Walde.(訳例:彼はふるまいが粗野だ。)


Dieser Mann mag sich vielleicht wie eine Axt im Walde benehmen, aber er hat das Gemüt eines Kindes.(訳例:この男は振る舞いは粗野かもしれないが、子どものような心を持っている。)


解説: この慣用句は「Axt 斧」で象徴される木こりが容赦なく何でもぶった切っていくというイメージが基になっています。 確かに屈強そうですから森の中ならともかく街中や、ましてや貴族のお城などにはそぐわない立ち居振る舞いなのでしょうね。



6. eine babylonische Sprachverwirrung / ein babylonisches Sprachengewirr herrscht


意味: 言語の混乱、相互理解の欠如が起きている。 字義通りには「バビロンの言語の混乱が支配している」


例文: Jeder zweite Bewohner ist ausländischer Herkunft. Auf den Straßen herrscht ein babylonisches Sprachgewirr.(訳例:住民の2人に1人が外国出身で、通りではバビロンの如く多様な言葉が話されている。)


Terminologisch gesehen herrscht in der Linguistik eine babylonische Sprachverwirrung.(訳例:専門用語的に見ると、言語学では言語・用語の混乱が起きている。)


解説: 「バベルの塔」の話をご存知の方は多いと思います。人間が皆同じ言葉を話し、天にも届く塔を建てようとしていたので、主が下りて行って「そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」と言い、彼らを全地に散らして街を建てるのを止めさせたという旧約聖書に出て来る話です。 Genesis 11, 9(創世記11章9節)「Darum nannte man die Stadt Babel (Wirrsal), denn dort hat der Herr die Sprache aller Welt verwirrt, und von dort aus hat er die Menschen über die ganze Erde zerstreut.(これによってその町の名はバベル(混乱)と呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。)」

この言葉の混乱状況を引き合いに出す表現が「eine babylonische Sprachverwirrung / ein babylonisches Sprachengewirr」不定冠詞を使っているのは「一種の」という比喩的ニュアンスが込められているからです。定冠詞を使えば、聖書に言及のあるバベルの言語混乱そのものを指します。



7. den Bach runtergehen / runter sein


意味: 衰退する、破滅する、破産する/している。 字義通りには「川を下る/下っている」


例文: Die Bildung geht den Bach runter.(訳例:教育が衰退する。)


Wenn ein Unternehmen völlig den Bach runter ist, lässt sich nicht mehr viel machen. (訳例:ある企業が完全に破産している場合、できることはもうほとんどない。)


Obwohl die eine Liebe gerade den Bach runter ist, soll die nächste wieder für immer sein. (訳例:一つの恋が終わったばかりなのに、次の恋はまた永遠だという。)


Von dem Zeitpunkt, als meine Beziehung kaputtging, ging auch alles andere den Bach runter.(訳例:私の恋愛関係が壊れてしまった時から他のこともすべて破滅に向かって行った。)


解説: この慣用句は人間が主語である場合は字義通りの「川下り」の意味であることが多いですが、物事が主語である場合は比喩的な意味です。 川に何かを落としたとして、それが流れて行ってしまえば、どこかにたまたま引っかかって回収することができることもあるかもしれませんが、普通は「ああ~!」と嘆いて諦めるしかないのではないでしょうか。 日本語の「お流れになる」と発想が近いと思います。「予定されていたものがダメ(中止)になる」という狭い意味でしか使われず、ドイツ語の「den Bach runter」のような破滅の意味はありませんが、「流れてダメになる」という根底のイメージは共通していると言えます。












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