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【学問の自由】シュタインマイヤー独大統領ボン大学創立200周年記念式典式辞を原文で読もう(16)


第15回に引き続き、大学のあり方について。大学教育者としての責任とドイツの大学の国際的な競争力に言及しています。

Ich halte das für etwas übertrieben. Aber: Bei aller Strukturierung und Leistungssteigerung durch Bologna, mit Bachelor und Master, Modulen und Benotung, da ist doch eines wichtig: die Freiheit bei der Wahl des Studienwegs, die Freiheit zur Debatte und die Freiheit zum Austausch, auch über die Grenzen des eigenen Fachs, der eigenen Hochschule und des eigenen Landes hinweg. All diese Freiheiten, liebe Hochschullehrerinnen und Hochschullehrer, die gilt es zu schützen und zu pflegen, wenn wir, wie Schiller es in seiner Antrittsvorlesung in Jena ausgedrückt hat, nicht nur "Brotgelehrte" wollen, sondern "philosophische" und – vermutlich würde er heute ergänzen – auch demokratische "Köpfe".


Sie tragen hier eine große Verantwortung, in den Präsidien, Fakultätsräten und an Ihren Lehrstühlen. Selbstverständlich haben Sie dabei Anspruch auf ein stabiles materielles Fundament, auf gute finanzielle Grundlagen. Sie müssen es sogar einfordern. Internationale Wettbewerbsfähigkeit und echte Spitzenforschung, wie wir alle sie uns wünschen, genauso aber geistige Unabhängigkeit und Kreativität – all das bedarf einer angemessenen Ausstattung. Der Staat trägt vor allem dafür die Verantwortung – und es ist gut, ihn immer wieder daran zu erinnern. Ich finde allerdings, unser Land muss sich nicht verstecken. Gerade nach den Investitionen in Wissenschaft und Forschung, die uns in den letzten anderthalb Jahrzehnten – sowohl in der Breite wie in der Exzellenz – wieder in die akademische Oberliga zurückgebracht haben. Und ich bin zuversichtlich, dass wir auch in Zukunft diesem Anspruch gerecht werden.


【解説】

Bologna ボローニャ・プロセス:高等教育における学位認定の質と水準を国が違っても同レベルのものとして扱うことができるように整備するのを目的として、ヨーロッパ諸国の間で実施された一連の行政会合および合意。

Bachelor und Master ドイツではそれ以前には修士(Magister および Diplom)しかありませんでしたが、ボローニャ・プロセスに伴い、学術的称号を他のヨーロッパ諸国と整合性を持たせるために学士(バチェラー)と修士(マスター)が導入されました。

Schiller フリードリヒ・フォン・シラー、1759~1805年、詩人、歴史学者、劇作家、思想家

Brotgelehrte 「パンの知識人」食べるために知的職業についている人

"philosophische" 後出の "Köpfe" にかかります。日本語ではまず「哲学的頭脳」と訳出し、その後に、挿入句「vermutlich würde er heute ergänzen」と「民主的な頭脳」という順番で訳出していくのが妥当かと思います。

Sie あなた方。ボン大学の聴衆への語り掛けです。

Sie müssen es sogar einfordern. es は、ein stabiles materielles Fundament/gute finanzielle Grundlagen をまとめて指しています。

bedarf einer angemessenen Ausstattung bedürfen(必要とする)が2格(Genitiv)支配であることに注意。

muss sich nicht verstecken 字義通りには「隠れる必要はない」ですが、「恥じることはない」というニュアンスです。

die akademische Oberliga 学術のトップクラス。特に大学・学術研究の国際比較を指しています。


【翻訳】

これは、私はいささか大げさだと思います。しかしながら、ボローニャ・プロセス[i]の一環として学士(バチェラー)と修士(マスター)の導入[訳注:ドイツではそれ以前には修士しかなかった]やモジュールや成績評価の変更を伴うあらゆる構造改革と業績向上措置が講じられましたが、そこで重要なことは、履修学科の選択の自由、議論の自由、自分の専門学科の境界も大学の境界または国境を超えた交流の自由です。こうした自由は、親愛なる大学教授・講師の皆さん、守り、実践していくべきです。私たちが、シラーがイェーナ大学の就任講義で表現したように、「パンの知識人(食べるために知的職業についている人)」というばかりでなく、「哲学的な頭脳」でありたいのであれば、そして、シラーなら今日きっと付け加えると思いますが、民主的な頭脳でありたいのであれば、自由を守り、実践していくべきなのです。

皆さんは、教授会や学部審議会やそれぞれの講座において大きな責任を負っています。もちろん皆さんは、そこで安定的な物質的基礎、良好な金銭的土台を要求する権利がありますし、それを実際に要求しなければなりません。私たち皆が望むような国際競争力や真の最先端研究、さらにまた精神的な独立性と創造性、こうしたものすべてが適正な装備を必要とします。まさにこの点において、国が責任を負うのです。ですから、そのことを繰り返し国に思い起こさせるのはよいことです。しかし、我が国はここで恥じることなどありません。特に、過去15年にわたって学術研究に投資し、その幅広さと優秀さにおいて再び学術のトップクラスに返り咲いたのですから、私は、我が国が将来もこうした要求レベルに対処して行けるという希望を持っております。











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