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AutorenbildMikako Hayashi-Husel

【学問の自由】シュタインマイヤー独大統領ボン大学創立200周年記念式典式辞を原文で読もう(15)


第14回に引き続き、大学のあり方について。「ポリティカルコレクトネス」や今日の大学のあり方に対する批判について言及しています。

Aber umgekehrt sage ich denen, die die vielgescholtene "Political Correctness" schon zum Kampfbegriff erkoren haben: Political Correctness heißt nicht zwangsläufig Feigheit oder Sprachpolizei, sondern ist zuerst einmal Ausdruck von mühsam erworbener Zivilität und historischer Sensibilität. Und ich finde, wir sollten sie nicht ganz leichtfertig über Bord werfen!

Demokratie lernen, das geht nur in Freiheit und Verantwortung! Wenn in unserer digitalen Wissensgesellschaft bald gut die Hälfte eines Jahrgangs an die Hochschulen geht, dann tragen die Hochschullehrer große Verantwortung für die Zukunft der Demokratie! Manche sagen, dass das Universitätsstudium nach den Reformen der vergangenen Jahrzehnte heute eher einer All-inclusive-Kreuzfahrt gleicht denn einer individuellen Abenteuerreise. Gemeint ist wohl: eine Reise ohne die Erfahrungen, die zur Verortung über den künftigen Platz in der Gesellschaft notwendig sind.


【解説】

die vielgescholtene よく非難の対象となっている

zum Kampfbegriff erkoren 戦いのスローガンに選んだ

Zivilität 慇懃さ


über Bord werfen 振り捨てる


zur Verortung (~を)探るために。Verortung は、本来、座標軸の中での位置を特定することを意味します。デジタルマッピングの際にある場所に地理座標を与えるジオコーディングを指す一方で、社会学ではあるシステムの中の特定の場所を割り当てることも意味します。ここでは学生一人一人が、将来社会の中で生きていくのに必要な体験を大学ですることができないといった文脈なので、「将来の自分の場所を探るために」というニュアンスで解釈すべきだろうと考えました。もし他にもっと適切な日本語訳がありましたら、ご教示いただければ幸いです。

【翻訳】

逆に私は、よく非難の対象となっている「ポリティカルコレクトネス」をすでに戦いのスローガンに選んでしまっている人たちにお伝えしたい。「ポリティカルコレクトネス」とは、必ずしも臆病さや言語警察を意味するものではなく、まず第一に、苦労して獲得した慇懃さと歴史的感受性の表現です。ですから、私は、これを軽率に失くしてしまうべきではないと考えます。

民主主義を学ぶ、これは、自由と責任を持って初めて可能となります。今日のデジタル知識社会で、間もなく1学年の半分以上が大学へ進学するようになれば、大学で教鞭を取る方々は、民主主義の未来に対する大きな責任を負います。過去数十年間の大学改革を経て、大学での勉強は今日、個人的な探検旅行というよりは、オールインクルーシブのクルージングに似ていると言う人がいます。これの意味することはおそらく、社会における将来の地位を探るために必要な経験をしない旅ということでしょう。












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