貧富の格差の拡大、抑制のない資本主義が次々に起こす金融・経済危機、取り残される人たちの増加、排他主義の台頭、右傾化の増大、それに伴う国際協力の相対的意味の喪失と自国優先主義の増長など、今、世の中は不穏な空気に満ちています。
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源 Elemente und Ursprünge totaler Herrschaft』(Piper)はナチスの追跡を逃れてフランス経由で渡米した著者が1951年にまず英語(The Origins of Totalitarianism)で発表した、全体主義研究の画期的な著作です。1955年にドイツ語版が発行されました。
Piperのペーパーバック版の初版は1986年で、私がもっているのは第19版です。ハンナ・アーレント本人によるドイツ語翻訳です。
かなり重いテーマで、1000ページを超える重い本ですが、現代の世相にも適用できるので、Blinkistという本の要約をオーディオで聞けるドイツ語アプリでも紹介されています。
なぜ本書が現代でも意味があるのかと言えば、本書がただのナチス批判ではなく、全体主義が広く受容される社会心理的な基盤についても深く考察しているからです。
目次
本書は3部構成です。
1部「反ユダヤ主義 Antisemitismus」17-272
2部「帝国主義 Imperialismus」273-626
3部「全体主義 Totale Herrschaft」627-979
I Antisemitismus 反ユダヤ主義
Vorwort 前言
1 Antisemitismus und der gesunde Menschenverstand 反ユダヤ主義と良識
2 Die Juden und der Nationalstaat ユダヤ人と民族国家
Die Zwedeutigkeit der Emanzipation und der jüdische Staatsbankier ユダヤ人解放とユダヤ人の国家金庫番の二義性
Von dem preußischen Antisemitismus bis zu den ersten deutschen Antisemitenparteien プロイセンの反ユダヤ主義からドイツ初の反ユダヤ政党に至るまで
Der Antisemitismus der Linken 左派の反ユダヤ主義
Das goldene Zeitalter der Sicherheit 安全の黄金時代
3 Die Juden und die Gesellschaft ユダヤ人と社会
Die Ausnahmejuden 例外のユダヤ人
Die Karriere Benjamin Disraelis ベンヤミン・ディスラエリスの立身出世
Faubourg Saint-Germain フォブール・サンジェルマン
4 Die Dreyfus-Affäre ドレフュス事件
Die Juden und die Dritte Republik ユダヤ人と第三共和国
Armee und Klerus gegen die Republik 反共和国の軍と聖職者
Das Volk und der Mob 国民と下層民
Die große Versöhnung 大きな和解
II Imperialismus 帝国主義
Vorwort 前言
5 Die politische Emanzipation der Bourgeoisie ブルジョワジーの政治的解放
Expansion und der Nationalstaat 領土拡大と民族国家
Die politische Weltanschauung der Bourgeoisie ブルジョワジーの政治的世界観
Das Bündnis zwischen Kapital und Mob 資本と下層民の同盟
6 Die vorimperialistische Entwicklung des Rassebegriffs 人種概念の帝国主義以前の発展
Die Adels-Rasse gegen die Bürger-Nation 貴族人種対市民国家
Völkische Verbundenheit als Ersatz für nationale Emanzipation 民族解放の代わりとしての民族的結束
Gobineau ゴビノー
Der Streit zwischen den >>Rechten eines Engländers<< und den Menschenrechten 「英国人の権利」と人権をめぐる論争
7 Rasse und Bürokratie 人種と官僚主義
Die Gespensterwelt des Schwarzen Erdteils 黒人居住地域の鬼畜世界
Gold und Blut 金と血
Die imperialistische Legende und der imperialistische Charakter 帝国主義的伝説と帝国主義的性質
8 Der kontinentale Imperialismus und die Panbewegungen 大陸の帝国主義と世界の潮流
Der völkische Nationalismus 民族ナショナリズム
Bürokratie: Die Erbschaft des Despotismus 官僚主義: 専制政治の遺産
Partei und Bewegung 政党と運動
9 Der Niedergang des Nationalstaates und das Ende der Menschenrechte 民族国家の衰退と人権の終焉
Die Nation der Minderheiten und das Volk der Staatenlosen 少数民族と無国籍者たち
Die Aporien der Menschenrechte 人権のアポリア
III Totale Herrschaft 全体主義
Vorwort 前言
10 Der Untergang der Klassengesellschaft 階級社会の滅亡
Die Massen 大衆
Das zeitweilige Bündnis zwischen Mob und Elite 下層民とエリートの一時的な同盟
11 Die totalitäre Bewegung 全体主義運動
Totalitäre Propaganda 全体主義的プロパガンダ
Totale Organisation 全体組織
12 Die totale Herrschaft 全体主義支配
Der Staatsapparat 国家組織
Die Rolle der Geheimpolizei 秘密警察の役割
Die Konzentrationslager 強制収容所
13 Ideologie und Terror: eine neue Staatsform イデオロギーとテロ: 新しい国家形態
参考文献リストと人物索引を含めて1015ページ、厚み6㎝はかなりの存在感です。
ずいぶん前から私の本棚に鎮座しているのですが、なかなかじっくりと読破する時間が取れないままです。読破はしてませんが、目次と前言と興味のある章だけを飛ばし読みしました。
要旨
Blinkistというオーディオダイジェスト版による本書の8つの主旨とまとめをご紹介します。
1) Die europäischen Juden standen historisch betrachtet immer abseits der Mehrheitsgesellschaft, wurden aber dennoch nahe an der Macht gehalten. ヨーロッパのユダヤ人は歴史的に見て常に多数派社会の外側にあったが、それでも権力者に重用されていた。
2) In den neuen Nationalstaaten gedieh ein rassistischer Imperialismus und Supranationalismus. 新しい民族国家では人種差別的な帝国主義と超国家主義が栄えた。
3) Die Juden wurden zum Sündenbock für das Scheitern des Nationalstaats gemacht. ユダヤ人は民族国家の失敗のスケープゴートにされた。
4) Nach dem Ersten Weltkrieg wurde die enttäuschte Masse zur perfekten Zielgruppe für totalitäre Propaganda. 第一次世界大戦後、失望した大衆は全体主義的なプロパガンダの格好の餌食となった。
5) Die Masse ließ sich bereitwillig von der totalitären Propaganda indoktrinieren. 大衆は全体主義的なプロパガンダに喜んで教化された。
6) Kern des Totalitarismus ist eine Ideologie, die die Geschichte zu ihren Gunsten umschreibt. 全体主義の核は、歴史を自分たちに都合がよいように書き換えるイデオロギーである。
7) Ein totalitäres System vereinnahmt die Menschen im wahrsten Sinne des Wortes total. 全体主義体制は人間を言葉通りの意味で全体的に支配する。
8) Die Gefahr des Totalitarismus droht immer dann, wenn ein Großteil der Menschen sich einsam und alleingelassen fühlt. 多数の人々が孤独や疎外を感じる時、常に全体主義の危険が迫る。
Zusammenfassung:
Eine Gesellschaft wird dann anfällig für die Versprechen totalitärer Kräfte, wenn sich zu viele Menschen als sozial isoliert empfinden und sich als Reaktion darauf von den demokratischen Werten abwenden. Dann beschwören totalitäre Führer ein Feindbild herauf, um die "atomisierten" Menschen im Kampf gegen einen gemeinsamen Gegner zu einer Masse zu vereinen. Sie nutzen Propaganda und Gewalt, um die Menschen zu gefügigen Robotern zu machen und die eigene Macht auszuweiten. Um all das zu verhindern, müssen wir verantwortungsvoll mit unserer Entscheidungsfreiheit umgehen und die Folgen unseres Handelns abwägen.
まとめ:
社会は、あまりにも多くの人が社会から疎外されていると感じ、その反動として民主主義的な価値観に背を向けるとき、全体主義的な勢力による簡単で分かりやすい公約に引っかかりやすくなる。そうすると全体主義的主導者が宿敵の像を描き、「原子化」した人々を共通の敵に対する戦いの中で1つの全体にまとめる。指導者らはプロパガンダと暴力を使って人々を従順なロボットとし、自己の権力を拡大する。これらすべてを阻止するには、自らの意思決定の自由に責任をもって向き合い、自らの行いの結果を十分に吟味する必要がある。
これを読むと、今現在コロナパンデミック下で起こっているフェイクニュースという現代的プロパガンダによる社会の分断化、民主主義の否定、自分たちの意見と異なる勢力に対する暴力(脅迫を含む)等、まさにこれに当てはまるのではと思えてきます。
しかしながら、その対策として「自らの意思決定の自由に責任をもって向き合い、自らの行いの結果を十分に吟味する」は弱すぎるきらいがあります。多くの人にはそこまでの思考力が備わっておらず、たいてい自分がいいと思う人の言うことを鵜吞みにして、自分できちんと考えるということをしないからです。そのような訓練も受けていないので仕方がないとも言えますし、酷なようですが、やはり知能の個人差も客観的に存在しているので、別のアプローチが必要だと思います。例えば、子どもにも分かるような啓蒙活動によって、現実の複雑さを受け入れる心理的土壌と「正しく知り、正しく恐れる」姿勢を養成していくことでしょうか。
社会が分断されてしまう要因の一つとして、一方は危険を侮り「大したことない」と間違った安心感を説き、他方は些細なことまで大げさに喧伝して余計な不安を煽ることにあると思います。さらに、本来なら中立的客観的な立場からのファクトの発信が往々にして難しく、退屈であることも問題でしょう。この辺りは、日本では標準になっている「マンガで分かる~」のようなファンシーな啓蒙活動が各国に広まったらいいのではないかと思えます。