今回はハードな哲学書を取り上げます。
1969年の著作ですが、その内容は示唆に富み、今日の社会でも色褪せないどころか、ますます読んで、社会の在り方や今後の展開について熟考してみる価値が高まっていると思います。
本書は哲学の分野では名著とされるものの1つですので、邦訳もあります。ただし、どの程度分かりやすい翻訳であるかは確認しておりませんので、邦訳を読まれたことがある方は是非ご教示いただきたいと思います。
ホルクハイマー、アドルノ著、徳永洵訳『啓蒙の弁証法』(岩波文庫、2007年)
啓蒙とは、蒙(くらき)を啓く(ひらく)という意味です。ドイツ語の Aufklärung は、aufklären「明るくする、明らかにする」の名詞化です。暗いところに明るい光を当てるイメージです。
ここでいう「暗いところ」とは、教会ドクトリンに支配され、また迷信に惑わされている文化的な闇を指しています。技術万能主義的進歩思想 technokratischen Fortschrittsdenken は工業化を可能にし、人類にいまだかつてなかった富をもたらした、というのが一般的な Aufklärung に対するイメージですが、ホルクハイマー&アドルノは本書でこの啓蒙思想の陰の部分に焦点を当てます。
人間の理性 Vernunft を教会ドクトリンや迷信から解放し、世界から神話的要素を排して、純粋な理性によって世界を説明し、人間が自由で成熟した存在となることを目的としていた Aufklärung は、結局のところ宗教的倫理を工業的成長神話と交換し、人間を教会のくびきから工場のベルトコンベヤーに移動させ、文化産業的な画一的思考を植え付けたに過ぎないと断罪します。
Aufklärung は世界を「魔法から解放 entzaubern」または「神話から解放 entmythifizieren」しようとして、自らが「すべてを科学的に説明できる」という神話 Mythos になってしまい、新たな信仰に近い画一的な思考法を生み出してしまいました。結果として、人々は「自分で理性的に思考する」には遠く及ばず、専門家やリーダーの言うことを信じて従うことで感覚を鈍化させます。
啓蒙の絶対理性 absolute Vernunft は内容のない存在 Sein ohne Inhalt とモラルのない行動 Handeln ohne Moral につながります。これがナチズム(国民社会主義)Nationalsozialismus という非人道的行為をも無批判に受け入れる大衆が醸成される土台となった、と著者らは主張します。
この他、Aufklärung のルーツ自体がギリシャ神話(ホメロス)のオデュッセウスにあるなどの自己矛盾も指摘されています。
この本が現代でもなお意味を持っているのは、常に成長を求め続ける資本主義と普通の人間のニーズを超えてなお進歩・発展し続けようとする技術偏重傾向がまさにこの啓蒙思想に基づいているからです。人々は消費者として選択の自由があるように錯覚させられていますが、実のところアートとされるものすら大量生産される画一化されたパターンの1つが背後に存在しており、見かけ・パッケージばかりが変わってゆくのが常態です。
世の中のトレンドをもっと批判的に考えてみる必要があるという警鐘を鳴らす一書ですね。
だからどうすればいい、という解答は示されていませんが。
成長神話や技術信仰に対するアンティテーゼ Antithese は、最近のトレンドでは「ミニマリスト」あたりなのかもしれませんが、トレンドになっている以上は商業主義が背後に隠れていると言えるかもしれません。ここはやはり古くからの「足るを知る(知足者富)」という老子思想にご登場願うのがいいのかもしれません。